まだやだ僕は眠らない

I will survive. B'z全曲登場させるまで… 終わらない 終わりじゃない(B'zとグルメ、旅行記事がメインのブログです)

何故、有為・有能な若者たちが麻原の言いなりになって、あのような凶行を繰り返していったのか、その原因を究明するなど、今後の再発防止策に資する総合的な研究がなされることを期待しています。それがまさにオウムの事件の総括と言えるのではないでしょうか。 ※文藝春秋2019年1月号『特集 平成30年史|オウム真理教事件「一生の不覚でした」』(國松孝次)より
この記事や著者を批判するわけではないけれど、ナントカ長官とか日本のエラくてスゴい役職に就いていた人がこれを「何故」と思うことが日本社会の問題の遠因なのだと思う。親世代が造り上げた社会の在り方が若い世代に有無を言わさず与えている閉塞感のようなものを理解できていない。上の立場の人間ほど「俺たちも苦労したんだから」と下にルールの変更を認めようとせず、時には理不尽に自分たちの価値観を強要して圧迫する。

そんな現実を受け入れられない「有為・有能な若者たち」が、既成概念の外にあるようなセンセーショナルな教祖に惹かれてしまう。そして納得のいかない一般社会のコミュニティーを抜け出して、その界隈にのめり込んでしまう。

「有為・有能な若者たち」= つまり今風に言えば「意識高い系」と揶揄される層で、ここをターゲットにした教祖ビジネスは過去のオウム事件に限らず現在進行形でも続いている。メジャー所でイケダハヤトの脱社畜サロンとか、マイナー所で言えばネットワークビジネスの団体で大阪・福島区に一大勢力を築いてるワンダーランドとか、日本中枢のナントカ長官らはそんなの知らんやろ? 
で、何かが起こった後ではじめて「何故?」と。絶対悪が確定してから「何故?」とか言い出しても、そう思う自分たちに責任の一端があるという考えにはなかなか至らない。年寄りたちの「自分たちは正しい」。それが現代の日本の病理なワケで。

幸いなことに、オウム真理教時代の「意識高い系」と現代の「意識高い系」ではだいぶレベルに開きがあるようで、教祖もポンコツなら信者もポンコツというのがトレンドだから(笑)、オウム真理教みたいな過激な団体が再来することは当分ないと思われる。
オウム真理教とはなにか、というのはもちろん諸説あるだろうが、ぼくの理解では、それは「仏教原理主義カルト」だ。教祖の麻原彰晃は、一部の若者たちを虜にする強烈な魅力をもっていた。信者の多くは、「精神世界系」の若者たちだった。
「オウム真理教は、若いインテリの間で比較的評判のよい宗教であった。私の周りにいる宗教社会学や哲学の若手研究者たちの評価も悪くなく、特にオウムの仏教解釈はかなり本格的で注目に値するということだった」 ※『80's』(橘玲)より

私が知っている地震とは別物でした。大地の魔神が、我が家を激しく揺さぶり、潰れるまでやめない。家族を皆殺しにする気かと、終わらぬ大揺れに殺意を感じたのです。
大地震を経験したことはないから、心構えとしてこの記事を覚えておく。

私の人生は将来にあると、ぼんやり信じていたが、あの瞬間に死んでいたかもしれない。今日を生きることに甘すぎる私ではなかったか。
被災者を代わる代わる支えあう共同体でなければ、この列島で生きては行けない。災害から無事の地などありません。どこでも、誰でも被災する可能性があり、まさに「明日は我が身」なのです。
文藝春秋2019年1月号『特集 平成30年史|二つの大震災「安全神話」を越えて』(五百旗頭真)より

「餃子の王将」創業祭に行くと特典があるらしい! 今年(2018年)は次回使える『500円割引券』をもらえる。「餃子の王将」大好きな我々夫婦にとってこれはデカい。しかし創業日がまさかのクリスマス・イブ(笑) さすがにディナーにはチキンが食べたいという、ジレンマである。 
※【12月24日】餃子の王将 創業祭 開催のお知らせ | お知らせ | 餃子の王将

HPで確認したらお持ち帰りも行けるらしい。ちょうど12月中に使わなければならない『餃子1人前 無料券』も持っていたので、お持ち帰りで餃子を2人前購入して家で昼ご飯として焼いてもらうことにした。おあつらえ向きなことに、その日の妻の献立はチャーハンだった。

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普段はもっと賑っているこの通りも、さすがにクリスマス・イブは趣が異なるのか何だか閑散としていた。夫婦で月イチくらいの頻度で通っている「餃子の王将 中野店」の通り。

…ここまで来て、ふと疑問が。『餃子1人前 無料券』を使っても『500円割引券』は頂けるのだろうか? 「割引の併用はNGです」みたいなノリでダメなんじゃ… そして、お持ち帰り餃子の販売窓口には、いかにもそのへんのルールに厳格そうな店長(たぶん)が待ち構えていた。


餃子2人前を注文し、500円玉と『餃子1人前 無料券』を差し出す。

店長が出してきたのは、1パックにまとめられた2人前の餃子とおつり。

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※王将の餃子は1人前6個入りで、240円+税 と大変リーズナブル。そして美味しい。コスパを考慮すると、これ以上の餃子を出してくれるお店はなかなかないと思う。

店長「ありがとうございま~す!」

俺(やっぱ無理なのか…)


と見せかけて、店長がくるっと振り返り何かを手に取る。そして俺に手渡す。
『500円割引券』だ!!

店長「本日は日頃の感謝を込めて、次回使える『500円割引券』をお配りしています。いつもありがとうございます」

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よかった… こちらこそありがとう店長。
妻も大喜び。そして早速、お持ち帰りの餃子2人前を焼いてくれた。

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王将の餃子は、焼くのも簡単(らしい)。

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見事な中華ランチ。王将の餃子も妻のチャーハンも大変美味だった。これからも絶対12月24日クリスマス・イブには「餃子の王将」の創業祭を要チェックである。


店舗詳細(食べログへリンク)

餃子の王将 中野店

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【追記】

12/24の夜に再び妻にお持ち帰りの餃子を2人前購入してもらって、2枚目の『500円割引券』をゲットした(笑) 接客してくれたのは、またしても店長だったらしい。

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ありがとう店長。ありがとう「餃子の王将 中野店」。

12/24のディナーはクリスマスチキンを腹いっぱい食べる予定だったので、王将の餃子は冷凍して2日後に食べた。それでもやっぱり安定の美味しさ!!

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俺が初めて行ったB'zのライブは「B'z LIVE-GYM 2008 "ACTION"」。その時いちばん感動した曲が『光芒』だった。アルバム「ACTION」で初めて聴いた時から圧倒的に存在感のある曲だと思っていたが、生で演奏を聴くと本当に鳥肌モノ。アンコール前のラストソングという特別な雰囲気も相まって、歌う直前の稲葉さんのMC(歌詞とリンクしていた)もすごくよかった。当時の自分の心境(むなしい大学生活を何とかしようとする気持ちw)とも重なって、その日の記憶のど真ん中に焼きついた1曲となった。 …このライブを機に俺は増々B'zに傾倒するようになり、以降は毎日の中に素敵なB'zが常にあふれている10年間だった(音楽だけに限らず稲葉さん的な動きの練習とか、結婚式でB'zモノマネ芸人の中村素也さんに余興やってもらったりとかww)

そしてそんな10年を経て、時は2018年。B'zの30周年ライブ「B'z LIVE-GYM Pleasure 2018 -HINOTORI-」にて、再び『光芒』が登場した!!

光芒

6曲目 光芒

光芒
B'z
ロック

みずみずしい未来が ひからびていく
どこかで狂う 夢の時計の歯車
おしよせる日々の流れ
生きるのは苦痛? 
そういうものだろうか
ひたすらにがんばるほど
行きづまる感情が 破裂しそう
※歌詞引用:j-lyric.net
繰り返しになるが、『光芒』は2008年リリースのアルバム「ACTION」に収録されていて、ライブでは同年のツアー "ACTION" で登場。それ以降ライブには登場していない(と思う)が、B'zファン(通称ブラザー)からは屈指の人気を誇り、ファンクラブ会員限定の「ライブで聴きたい曲」投票では何と2位にランクイン! 1枚のアルバムと1度のライブツアーだけでそれほどまでに鮮烈な印象を多くの人に与えた、やっぱり凄い歌。

光芒2
イントロ(分かりやすい)で会場がザワつく。歌詞の情景とリンクしてスクリーンはモノクロ。8/5の日産スタジアムでは10年前と変わらない圧巻の歌声で、演奏はサビへの展開がめちゃくちゃかっこいい!
むなしいBlue 僕を包み込んで
行く道を閉ざそうとする
自分を救う それは自分なのか?
今さら答えはいらない
消えないTruth すべて請けおって
半歩でも 進めるなら
景色は少しずつ変わってゆく
※歌詞引用:j-lyric.net

光芒3
最後のCメロ。ライブVer. にアレンジされたサビ⇒Cメロへのつなぎのギターと、モノクロだったスクリーンが色付いていく演出がすごく良かった。
光を求め 歩きつづける
君の情熱がいつの日か
誰かにとっての 光となるでしょう
誰かにとっての 兆しとなるでしょう
※歌詞引用:j-lyric.net

演奏後、周囲の席ではむせび泣く人が多数続出していた。

「五個のリンゴを持った子供が三人います。リンゴは全部でいくつでしょうか」という算数の問題があったとする。これに対し、もし自分の子供が「3×5=15」と解答して×をつけられたとしたら、あなたはどう思われるだろうか。
学校に目茶苦茶抗議するやろうねw 「納得のいく回答を得るまで帰らん」というモンスター・スタイルで。ていうか俺も、問題読みながら頭ん中で「3×5」を想像したし。

掛け算の式の順序は「掛けられる数」×「掛ける数」の順となっていなくてはならない。このため「5×3=15」と書かないと正解にならない――という指導が、実際に行われている。
国語の読解力的な? でも多分「3×5=15」と解答した子供は、3×5も5×3も問いに対する答えが同じだということをちゃんと分かってやっててるはずなんだよね。その上で、その子にとって合理的な(やりやすかった)計算式を結果的に記述してしまっただけで。それをあえて×にして、そんなしょうもないところで挫折を味あわせるってどうなの? むしろ、柔軟な思考や応用力を褒めてもいいくらいじゃないかな?? ×をつける教育上のメリットがあまり理解できない。

教えられた通りに答えないと×にされるという恐怖は、子どもたちを委縮させ、柔軟な発想を縛ることにつながる。上司に対する忖度力養成を目指すならこうした教育法もよいだろうが、イノベーションを生み出す人材の育成には、最も不向きな方法であるに違いない。
忖度力養成ww それは、確かに(笑) 合理性を無視してまで自分の考えや方法に固執し、かつそれを人に押し付けてこようとする人は過去にたくさん居た。ウチの妻が職場でいちばん嫌がっていたタイプ。俺の場合は適当に忖度して、その人の好ましいように動いてご機嫌とるのが得意なんだけど(笑) なんとなく「この人はこれを否定するとめっちゃ怒るんだろうな」ということを察することができる。これが学校教育の賜物だったのか!

×をつけた教師が、「私自身には教育的意図や信念は特に無いんですけれども、お子さんの忖度力養成のために×をつけました。私のこの行動もまた、お上を忖度した結果に過ぎません。」くらいの清々しく正直な説明をしてくれたら、とりあえずその場は納得して帰ってもいいかな(笑) そんな学校には通わせたくないのが本音だけれど。

※引用:文藝春秋2019年1月号『数学の科学』(佐藤健太郎) より

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